シャニマスの斬新過ぎるイラストの数々を写真科が分析する

2021年1月27日未分類

こんにちは、みなさんはアイドルマスターシャイニーカラーズ(ちぢめてシャニマス)というアイドルゲームを知っているだろうか。シャニマスは数あるアイドルマスターシリーズの中でもリリースが2018年とかなり新参で、なおかつ既存シリーズのアイドルとの関係性がまったく無い、完全新規の世界観で組み上げられたタイトルだ。

今回紹介したいのは、そんなシャニマスの「絵」についてだ。写真が大好きな私がシャニマスにハマり始めた理由の約9割が、極めて印象強く前衛的なその「絵」に存在する。

別に顔が良いとかそういう理由ではない、いや顔もめちゃくちゃ良いんだけど。おなかの描き方が好きとかではない、おなかの描き方もめちゃくちゃ好きなんだけど。

違うのだ、他のゲームとは一線を画する絵の「構図」に、ユーザーを引きつける強烈な魅力があると考える。


では一体それがどういうことなのか、実際にシャニマスで排出された絵の中から、ポイントを絞っていくつか紹介していこう。

以下画像の引用元:©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.


宝石色のしおり 風野灯織

わかるだろうか、灯織ちゃんとは、この黒髪の子である。なんとこのイラスト、メインである灯織ちゃんが画面を占める割合が1割にも満たないのだ。右上にいる櫻木真乃ちゃんや下の八宮めぐるちゃんと同じサイズ感で描かれている。

しかしどうだろう、灯織ちゃんはたった1割しか存在しないが、十分にキャラクターが立っており、イラストとしての不足感は感じないのではないだろうか。何故ここまで印象的に映るのか、パシャ勢の観点から順番に考察していこう。

まず一つ目のポイントは、焦点が当たる位置が制限されていることだ。このイラストで灯織ちゃんよりもサイズが大きいシーリングファン(プロペラの奴)は、よく見ると焦点が合っておらず、ボケていることがわかるだろう。これにより、視線の誘導にあたって画面の左側の存在感を豪快に削り取るような状態になっている。

また併せてシーリングファンによるトンネル構図が出来上がっていることも挙げられる。
トンネル構図とは、撮影したい対象の手前や周りを囲うようにオブジェクトが存在する場合、囲われた対象物が映える構図のことだ。

手前のシーリングファンが大幅に情報量を減らすことで、赤丸の中で中心に近い位置に存在する灯織ちゃんに自然と注目が行くような状態になっている。私は構図選びにおいて、ここまでの情報量の削り方は非常に前衛的だと考える。

ただ、一つここで懸念がある。水平な地面を軸としなかったり、ものすごく上からの視点の写真というのは、オブジェクトの位置関係を明確にしないと基本的に構図が安定しない。見る側の人間に心なしか落ち着きを与えない写真になってしまうことが多いのだ。(写真を見てなんとなく好きじゃないと感じる現象は、こういう問題から発生していることが多い)

しかし、このイラストにおけるその現象の解消方法が二つ目のポイントだ。それは何かというと、オブジェクトの配置が三分割法に基づいた構図である、というところだ。
三分割法とは、画面の縦と横それぞれを線で三等分に分けた際の、線が交わる箇所付近にオブジェクトを配置すると気持ちがいい構図である。

この場合の交点に配置されるオブジェクトとは、正直かなり漠然とした情報で良い。たとえば木の先っちょだったり、青い空の中になんとなく大きい雲がそこにあるだけでも構わない。それだけで安定した構図になるのだ。この画像ではシーリングファンの中心と、灯織ちゃんの綺麗なお顔、そしてめぐるちゃんの形のいい後頭部が該当するだろう。無論、真乃ちゃんのお顔もかわいい。

これによってこのイラストの土台が安定し、見る側にゆったりとした時間の流れを感じさせつつ「ぜんざいを楽しみながら会話をする風景」に仕立てている。

イラストを見ている時に感じる「なんとなく良い」には、こういった努力が詰め込まれている。そしてシャニマスからはそれを大いに感じることが出来るのだ、私は気持ちが良くて仕方がない。みんなもなんとなく気持ちいいだろう、正体がこれだ。

まだまだこの「シャニマス的なイラスト」を語るには多くの説明が必要だが、それは以降のイラストで伝えていくことにする。

そして何より、この角度から光景を切り取ろうとした決断力が素晴らしい。天井に穴を開け、天井裏から顔だけを出してシーリングファン越しにこの光景を眺めていたあのときの私Pは、たしかに幸せだった。



それなら目をつぶりましょう 三峰結華

続いて衝撃を受けたのはこのミツミネのイラストだ。

一体どこの誰がこんな横長の画角を前に、アイドルの全身が収まるような配置で撮影をするのか。極めて信じがたい構図である。

このミツミネの構図もいくつかの手法が押さえられている。一つ目は簡単で、水平に綺麗に撮影するという方法だ。この方法を使うことによって堂々とした構図でありながら、安定した写真が撮れる。これに関しては説明することはあまり無いが、一つ気をつけることがある。
平凡な写真になりやすいのだ。卒業式や何かの記念日にスマホを横に向けてキャッキャパシャパシャと何十枚も写真を撮っても、後から画像フォルダを見る時には、シャーって指でスライドしたうちの有象無象の一部になりがちなのだ。

しかし実際のところ、このイラストの注目すべき観点はもちろんこれだけではない。

二つ目に、放射線構図に基づいた配置がされているというポイントがある。
放射線構図とは、周りから中心にかけて線が収束していく構図のことで、遠近感を表現する場合に使われる。というより、使うことになるだろう。

ビームがミツミネを襲っているわけではない。道路の中心から奥にかけて撮影することで、ミツミネの存在のみにスポットを当てる状態を作っている。

そして三つ目、三角構図だ。
これもシンプルではあって、写真全体のシルエットがなんとなく三角になっていると、安定感が増す構図である。

灯織ちゃんの説明で挙げた三分割法と同様、かなり漠然としたもので構成されていても構わない。

少しだけ気をつけて欲しいこととして、これらの漠然とした構成というのは、こじつけでは中々成立しない。あくまで「なんとなく良いと思った写真にはこんな理由があった」という話で、ウケが良くなかった写真に後から説明を付け足すことで評価が変わる、ということは無いものと考えておいた方がいい。

しかしだ、これらの観点を以てしてもまだこのイラストにはトリックがある。上の三つの構図は、写真を撮影する上では特筆して斬新さのある撮影法というわけではないからである。
勿体ぶらずに言うと、このイラストは現実よりも色が多いのだ。パシャ勢の私は現実の写真で説明するところの合理性を説明していたが、ここに来てアイドルゲームらしさが前に出てくる。

一般的に日常に潜む景色というのは、あまりにも色が薄い。ビル影は青黒く、家は白や茶。人までも白や黒、茶やグレーの衣服をベースにする。太陽も赤くはない、目にはほぼ白く見える。
しかしこのミツミネはどうだろう、緑、青、黄に赤、BB素材にしたらどこからしら輪郭が飛ぶレベルでピッカピカなのである。

私はここにもシャニマスの素晴らしさがあると思う。限りなく日常的な厚みのある光景を表現しながら、最後の一押しには、少しだけアイドルゲームらしい色使いを出してくる。そのイラストが成立する”理由”をちゃんとつけるのだ。

我・思・君・思 幽谷霧子

信じられないとは思うが、真ん中あたりのちっちゃい女の子のカードである。

突然の持論だが、シャニマスはライブ衣装を着ていない時のアイドル達はあくまで普通の女の子として表現したいのではないかと思うことがある。一般的なソーシャルゲームにおけるキャラクターのカードは、メインキャラが画面の真ん中でかわいいポーズを決めて、そのポーズと調和のとれる綺麗な背景で締めることが多いのではないだろうか。

しかし、何故かシャニマスはまったく違う。この世界が非現実であることは当然だが、限りなく「当たり前」を表現するのだ。
現実では女の子が常にポーズをとっているわけではない。道に立っている木よりも女の子の体の輪郭線の方が太く見えるわけでもない。そして逆光になる角度の構図では女の子の顔をさも当たり前のように暗くするのだ。信じられるだろうか。私には何故ここまで常識を壊して突き進めるのかがわからない。

と、伝えたいことは山ほどあるが、一旦パシャ勢としての話をしておこう、しておかないとオタクが溢れて止まらなくなるからだ(もう首まで来てる)。
このイラストは一見斬新に見えて、写真という観点においては綺麗に整っている。何故なら、右手前の草、左手前の枯れ木が景色の立体感を表現しながらも、これら自体が大きな主張をしていないからだ。
ガラス張りの背景もいざ人物を配置すると人物以上には目立たない自然な情報量ため、全体のオブジェクトの存在感が均等な分、どうしても人物が主役になる。
上の二つと比較すると、堅実でバランスの取れた構図と言えるだろう。

堅実だが、ソーシャルゲームのカードでは見たことがない、前衛的という言葉がここまで深く突き刺さるコンテンツがあっただろうか。


エクストリーム・ブレイク! 小宮果穂

小宮果穂ちゃんとは、この真ん中の女の子である。
パシャ勢としてはこのイラストも見逃すことができない。何故なら、尋常ではないほど果穂ちゃんが良いからだ。

画面右の机の角度を見て欲しい、この机を基準とする場合、よく見ると果穂ちゃんが驚くほど体を捻って紅茶を注いでいることがわかる。一見普遍的なかわいらしいイラストに見えるが、この一枚で、オーバーなアクションを取りがちな小学生らしい一面も表現しているということだ。

最近考えることがある。プロデューサーとして果穂ちゃんを応援するのも良いが、僕がお兄ちゃんで、果穂ちゃんは年末に実家に帰る時だけ顔を合わせることができる年下のいとこであって欲しいとも思う。果穂ちゃんは僕のことをただの優しいお兄ちゃんだと思っているのだが、僕は仕方なく年下の相手をするような表情を崩さずも、その実果穂ちゃんに触れたくて、触れられたくて仕方がないのだ。そんな僕の感情に目もくれない果穂ちゃんが無邪気に触れた一瞬の指先の感触が忘れられなくて、寝る前に果穂ちゃんの笑顔が頭の中をぐるぐると回り続ける。
果穂ちゃんという存在がアウトプットした表情、声、指先の柔らかさだけを順番に思い出しては1時間ほど布団のなかで行き場の無い感情に悶々とし、翌朝には寝不足とスマホの見すぎで猫背になった不健康な体で出勤するのだ。そんな人生が良い。
小宮果穂はオアシスだ、求めれば求めるほど乾いて仕方がない。出会う前に戻れたらと考える日もあるが、それはきっと、もっと辛いことなのだろう。



シャニマスの「絵」が放つ魅力について、この場で伝えることは以上になる。
きっとシャニマスはこれからも、このスタンスを崩さないと私は思う。この記事を読んでくれた人が今後出てくるイラストを見た時、それを楽しむ材料が少しでも増えたなら、私は嬉しい。


以上、読んでくれてありがとう。