シャニマスの斬新過ぎるイラストを写真科が分析する2

シャニマス

前回記事で色々な反応、反響を頂きました、ありがとうございます。


さて、既に紹介したものの他に、アイドルマスターシャイニーカラーズ(ちぢめてシャニマス)にはまだまだ沢山の面白い構図、魅せ方が隠されている絵がある、今回も引き続き、それらの中から目を引いたものを、解説とともに紹介していきたい。

以下画像の引用元:©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

深染め、いろみぐさ 櫻木真乃

一枚目はこちらの櫻木真乃ちゃんである。パッと見から、だいぶインパクトのある絵に見えるのではないだろうか。この真乃ちゃんの良さを一つずつ順に紐解いていきたい。

まずこの絵の一つ目のポイントとして、全体の配置が日の丸構図になっている。

日の丸構図とは、メインの被写体(撮りたい物)をど真ん中に配置することで堂々とした写真を撮ることが出来る極めてシンプルな構図だ。あまりにシンプル過ぎる撮影方法であり、なおかつ誰もが最初はこの撮り方を無意識に行うため、普段から見慣れているせいで逆に映えないといった弱点がある。なので基本的には他の構図や情報を併せて取り入れたり、そもそも真ん中に置かれているものになんらかのメッセージ性を持たせた上で運用すような形になる。

二つ目のポイントは、下の方から上向きに撮影するローアングルの角度になっていることだ。

写真撮影において、目を引く写真を撮るための第一歩としてオススメされる方法がこのローアングルである。何故なら、人間の目は、人間の目の位置から見る景色に慣れているからだ。人が棒立ちの状態で自分の顔の位置からカメラを向けて撮影した写真は、何かしら別の手法を押さえないと、ただ記録として撮影しただけかのように、なにも目を引かない写真が撮れてしまう。

しかし、ローアングルならそんな当たり前を回避できる。普段から四足歩行で床を這って歩かない限り、電車という場所で下から見上げる景気は経験できないからだ。

そして三つ目のポイント、これは気づいている人もいるかもしれないが、逆光(後ろに太陽などの強い光がある状態)を利用した構図になっているところだ。

逆光は写真全体の色を大きく左右していまい、またカメラの設定なども細かく調整しなければならないため、初めは敬遠されがちな撮影手法だ。しかし人物やモノをメインとして撮影する「ポートレート写真」においては、あえて逆光の環境で人の顔を暗く写るようにしたりすることで、儚さや情緒ある静けさを表現することが可能になる。しかし、しかしだ、アイドルゲームでやるのは突っ張りすぎではないだろうか?

アイドルゲームは顔が資本だ。逆光を利用したポートレート写真は、夕焼けや太陽を利用することによって味を出す性質上、人物とその他のオブジェクトの主張の比率が5:5、頑張っても6:4くらいになることが多いため、余程成熟したコンテンツ以外では向かない撮影方法だと私は思う。

そして、そもそもこの絵は逆光をうまく利用できる「ポートレート写真」と呼べるかさえ少し怪しい。何故なら角度や真乃ちゃんの表情から見るに、明らかに「今から撮るよ!はい、チーズ!」という感じで撮影しているわけではないからだ、人物が「いる」だけで、撮ろうとしていないように見える。総括して、色々な手法がすべて60%ずつくらいしか活きていないのに、全体の絵としては印象がまとまってしまう、少し不思議な絵であると感じる。

数多のパズルの中から、決められた並び以外に歪にもハマってしまうピースが存在することを、私はこの絵から強く感じる。

ローアングルについて、この絵では活用方法が若干曖昧なため、わかりやすい別のパターンをもう一つ次の絵にて紹介したい。

つむぎ、まばゆく。星屑たち 櫻木真乃

またしても真乃ちゃんだ。好きだ。

この絵も先ほどの「深染め、いろみぐさ」の真乃ちゃんと同様にローアングルからの構図になっている。

しかしこのローアングルは先ほどとは違い、明確に雑誌の一面などで使用することを想定したような、アイドル達を引き立たせる目的で使われている。お手本のような使い方と言って良い。

やはり注目すべきは色のバランスだろうか、こういった全体の彩度やコントラストを落とし、特定の部分のみ際立たせる手法はよく存在する。インスタ見るとみんなやってる。

こういった表現を理解すると、ある程度伝えたい内容の趣旨や意味がわかるようになる。私がこの絵から受ける印象について考察を挟むなら、この絵の場合は一見アイドルの彩度のみ落として三人のアイドル以外の一面を表現し、その普遍さを伝える描写かと考えられるが、しかしその理屈であれば、鮮やかな青色を表現しやすい空の色は今よりももっと濃く表現するはずだ。となると、明確に地面の方の石や芝生を際立たせようとしていることが伺える。

となると恐らく、石の色は他のユニットを表しているのではないだろうか。「隣の芝は青く見える」という言葉を絵で表すように、他のユニットのメンバーの活躍と自分たちの個性を比較して、劣等感に思い悩むコミュなのかもしれない。違ってたら死ぬほど恥ずかしい

何かメッセージがあるのか、答え合わせをしたいがこのコミュを見ることが出来ない。何故なら、私はこのカードを持っていないからだ。



メロウビート・スローダウン 三峰結華

続いてはこのミツミネだ。

シャニマスを知らない人の為に説明すると、ミツミネはここにいる人物である。

信じられるだろうか、明らかに真ん中にいる紫髪ボンボン女の子(摩美々ちゃん)のカードだろう。しかしこれがシャニマスなのだ、私たちも理解はしていない。

この絵は構図の良さの他に、やはり写真が好きで、よく知っている人が中にいるなと感じる描写がある。初めに構図から説明していきたい。

一つ目のポイントとして、S字構図が取り入れられている。

S字構図とは、文字通り画面全体の流れがS字になるようにまとめられた構図である。

摩美々ちゃんが強烈に癖のあるストローを咥えているわけではない。

線が太いので元の画像と比較して欲しい、奥から手前にかけて、S字に流れるように道が連なっている。この効果によって、全体の重量感を安定させる役割を持っているのだ。

また、S字の概念もかなり曖昧で問題ない。今回は道一つでS字を完全に表現しているが、全体的な流れがS字っぽくうにょうにょしていればなんとなく構図としては安定する。写真撮影でいまいち配置が決まらない時は一考してみても良いかもしれない。

そしてこの絵の二つ目のポイントは、絵のフチがボケているところにある。

目を凝らして矢印をよく見て欲しい。特にミツミネの背中あたりだろうか、全体の角を削るようにボケ感が出ていることがわかる。これにより、全体的な印象が柔らかくなる他、かなり弱いトンネル構図(前記事参照)が効くようになる。

また、ここまで外側だと額縁的な役割を持つため(額縁構図という)、「切り取った思い出の場面」という意味合いを持たせやすくなる。手前のジュースのグラスの配置からしても、ボカした理由はこの額縁構図が目的だろう。

基本的に普段の撮影では商品紹介や幻想的な雰囲気を前に出したい状況以外でこのフチのボケ感を使うことは少ないかもしれない。私自身はゆるふわ系の被写体を撮影しないため使ったことはない。
※今ここで説明したボケ感は、この後に出てくるボケとは別のものなので、混同してしまわないよう注意して欲しい。

そして冒頭で言及した話に戻ろう、私は構図の他にこの絵から、被写界深度の概念が意識されており、それが伝わってくることが素晴らしいと感じた。

被写界深度とは、写真のピントが合う範囲のことである。ざっと説明するなら、この絵の場合、ピントは全体に合っており、ボケているところはほとんどないため、“ピントが合う範囲が広い”。手前で紹介した「つむぎ、まばゆく。星屑たち 櫻木真乃」は、足元の草にピントが合っていないため、“ピントが合う範囲が狭い”といえる。

シャニマスはこれまでピントの合う範囲をアイドルのみに絞ることで、アイドル以外のボケている木々や建物から相対的に立体感を表現する手法が多かった。しかし、味を出すことを意識しすぎて、理屈抜きでなんでもかんでもボカしているんじゃないかとも一瞬思っていたのだ。ただそれも、この絵の背景がボカされていないという事実によって払しょくされることになった。
簡単に説明すると、今回のような構図の場合、手前のグラスとアイドルにピントを合わせる以上、この二つのオブジェクトの距離感から考えて、アイドルの後ろの背景あたりからボカしてやろうというのは諸々の仕組み的に無理な話なのだ。
私はこの、明らかにアイドルゲームが求められている測りでは測られることのない細部の忠実さを蔑ろにせず、構造上無理であることを理解した上で取り組まれた絵であるというところに、常軌を逸したこだわりと熱量を感じる。

正直なところ、これまでの絵を振り返ってこれほど構図を明確に意識しておきながら、シャニマスの絵を担当している人が「被写界深度?なんすかそれw」なんて理解度であることはさすがにありえないとわかっていた。わかっていたが、いざ見るとどこまでも物の仕組みに忠実であることがやはり嬉しくなってしまうのだ。

長くなってしまった、最後に余談に近い話だが、この絵がミツミネのカードだという事実から学んだことが一つあるので、あと少しだけ付き合って欲しい。
その学んだこととは、絵を見るまでのプロセスとして、実際にゲームでガチャから出てきたり、wikiから見たりTwitterで流れてきたりどんな出会い方であれど、まず初めに”メロウビートスローダウン・ミツミネユイカ”という文章が何かしらの方法で表示された後にこの絵が目に入ってはないだろうか。そしてこの順序が常に守られていることで、私たちは前提としてミツミネのカードであるということを認識した上で絵の情報を吸収し始める。

それがある種の視線誘導の役割を持ってはいないだろうか。そこらへんに落ちている写真にはまず存在しない「絵のタイトル」という概念が、見る側の頭の中の情報整理を助けている。これはシャニマスに限った話ではないが、主役を端に配置する前のめりな構図を目の当たりにすることで、その恩恵を直に感じることができた。

結局のところ、一歩間違えれば色が褪せるんじゃないかというほど開拓されていない細い道を歩き続けながら、いつもいつも、いつもいつもいつも最終的に納得させる合理性を持っているのだ。


今回紹介する絵はこれで以上となる。前回に引き続き、シャニマスを楽しむ材料として足しになるなら、私は嬉しく思う。

正直記事を書く速度がシャニマス側の更新頻度に追いついていないが、実はEnterキーをブラジル人に盗まれてから、改行しようとする度に地球の裏側まで泳いで押しに行っている現状、仕方がないものとしてどうか許して欲しい。




以上、読んでくれてありがとう。